PUSHMIPULLYU

-オシツオサレツ日々は過ぎる

ダム・ウェイター ver.B

場所、三軒茶屋、シアタートラム。
天候、曇しばしば雨。
13時開演、13時55分終劇の短い二人芝居。脚本はハロルド・ピンター。知った風に書いているけど、見に行くまで知らなかったことだらけ。

非常にシンプルだ。なにせ二人しか登場人物がいないから、誰がどうこう記憶を維持させるべくもなく、淡々と進んで行く。時間が55分しかないと聞いた時点で、期待のうちのある程度の部分は除かれてしまった。決して冗長な劇を好むわけでもないが、55分で5000円取られるのは、懐が寒いと文句を言っても別にいいだろう?

開演を知らせるアナウンスは、バージョンAの堤真一村上淳がおっさんバージョンを強調して劇は始まった。ははは。
このキャストで見たくて、Bバージョンを勇んで観に出かけたけれど、これがAだったらどうなのかが観たくて堪らなくなる、無いもの観たさなのかどうか。

いや、劇はそれなりに面白かったよ。
漫才で言えば、ボケ役の高橋克実氏が裏切らずに、防音を確かめる為に壁に向かって大声で叫んでくれたり、ボテチを隠し持っていたり、お茶目で。

薬缶を火にかけるのか、ガスに火をつけるのか、そんなことで揉めている二人。とはいえ任務の為に呼び出された殺し屋たち。なんのために今回は呼び出されたのか、どういう任務なのか。

退屈な地下室ではトイレが流れにくかったり、ガスがコイン式でお茶も飲めなく、イライラ。追い打ちをかけるように突然ダム・ウェイターが動き出して、出来もしない料理の注文を殺し屋たちに頼み、場は余計な混乱と別の緊張を孕んでいく。

これが単純なコメディだったら良かったのになぁと思う。最近続けて劇を観に来ているけど、その中で終わりがハッピーエンドというものがない。ひと昔前のミュージカルじゃあるまいし、すべてにハッピーエンドを求めるのは無理だろうけど、ハッピーになろうとする映画のようなご都合主義を悪い意味で劇は排除してしまっているんだろうかと思う程。

映画には、どれにもなにかしらのメッセージ性があって、それがなんであれ観る側にも伝わってくる。ただ、劇はそれが非常に曖昧だ。全く違うものなのはわかるけど、観客がどうどってくれてもいいというような微妙な終わりに、こちらは空虚な気持ちにしかなれないときもある。

ひとつ、今回ダム・ウェイターで目を惹いたのは、美術関係。透明な新聞に透明なタバコ、透明なガン・ホルダーとかガラスだけの写真立て。よれよれになったりせずに何度も使えるのが美点だろうけど、そこは想像力が働くし、格調良かった。でも、なんで銃は水色と黄色の水鉄砲なんだろうなぁ。