PUSHMIPULLYU

-オシツオサレツ日々は過ぎる

猫ニャー「夜の墓場で運動」

変なタイトルである。なるべくならば、私のような小心者でノミ(飲み)の心臓を持つ者は、「夜の墓場で運動」などしようと思わない。しかし、それは正解であって正常であって、このタイトルと演劇内容は雰囲気だけはとても類似しているが、それを簡単に言葉で表すと「かけ離れている」という。

わはは。

とても、笑える。三本立て。多くの謎と不可解さをそこはかとなく残しながら、気持ちよく腹筋運動ができたようだ。この芝居を言葉で伝えるのは難しい。多くの言葉を費やせば費やすだけ、「この人大丈夫か?」という会話になってしまうに違いない。「鳥の巣を頭にかぶっているおじーちゃんと、孔雀を頭に載せた息子が…」とか「鳥取で震度3の地震が…」とか「ざるそば」とか、言いたいことはとりとめもなく文脈もなく、しかし、笑えるのだ。非常にシュールだと思う反面、演劇というものは物事の心理を突いていると変に感心していたのだ。

実は自らお金を払って、芝居を見るのは初めてといえるかもしれない。劇を見たのなんて、小学校の教育の一環としてどこか地元の市民会館へ行って以来のことかもしれない。学校の教室を2つぐらいくっつけた3分の2ぐらいの大きさのシアター。前から二番目。手を伸ばせば握手ぐらいできる距離で、時には悲嘆に暮れ、時にはティーカップから海老フライのシッポをつまんでみたり、時には大声で叫んでいたり、飛び回っていたりするわけで。人前には極力出たくないと私は思っているものの、いざこんな風に感情をこめて人になにかを伝えるということをできたら、気持ちいいだろうなと羨ましかった。

映画というものが、全く不自然を感じない画像作りをするのに対し、演劇はどこまでを芝居で表現できるかという試みが面白い。映画などフィルムでは簡単に処理できてしまうものが、生の場ではそうはいかないものの、それがとても新鮮に見えたのは芝居慣れしていないだけなのだろうか。慣れすぎて忘れていたものを、なにか思い出したような気がする。

で、次回公演は11月頃だそうだ。フフフ、とても楽しみにしているぞ。