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-オシツオサレツ日々は過ぎる

「国盗人」@世田谷パブリックシアター

いい劇を遠い席でもいいから、観に行きたいと思って、いつも出し惜しみするからいけないのか。
世田谷パブリックの三階席、初めて正面ど真ん中だったけど、上からみると一階席の舞台と客席の近さがありありと余計わかるんだよね・・・。野村萬斎が舞台の先の階段に座りこんで、なにやら悪事を悪三郎(リチャード三世)として一人でしゃべる度に、あーんなに間近で演技されたら眠くはならないよなぁと、舞台と客席のあまりの近さが(自分のいる三階席では)羨ましくてぼーっとしてたら、3時間近い劇中、照明の暗さに萬斎さんの独特の声の調子が子守唄のようで、眠さに意識が遠くなったりし、勿体ないことをしたと。(だいたい、寝不足で舞台を観てはいけないというのが鉄則のところ、昨夜飲み会で飲み過ぎと寝不足と、さらに空腹*1の三拍子。まったく威張れもしない・・・)
萬斎さんの世田谷パブリックこそ、そろそろ近くで観ろよという教訓かもしれん。


シェイクスピアの「リチャード三世」は観たことも読んだこともないが、今年に入ってミステリで、本当にリチャード三世はシェイクスピアが描くように極悪非道な人物だったのかという本*2を読んだところだったから、歴史的な背景も本当のリチャード三世も珍しくバッチリ学習済み。
いざ!!って感じで勇んで劇場に行ったさ。


悲劇で主人公は悪人と来たら、そんな話はどこが面白いんだろうと思っていたが、演劇でいう悲劇は終わり方が悲劇なだけで、喜劇にものすごく近しいとも思う。
特に「国盗人」の言葉の言い回しは巧妙(悪三郎が杏を口説き落とすところが特にいいな)。シェイクスピアの韻を踏むセリフが、英語圏では絶大に親しまれているのが、どうしてだかはじめてわかった感じ。聞いていて、日本語での言い回しの妙にほぅっとするようなセリフもあれば、言葉遊びのダジャレにシリアスな場面なのにくすりと笑ってしまったり、そしてそれを変幻自在の調子で明暗使い分けてた萬斎さんはやっぱり魅せるし面白いなぁと。


好きなシーンは、悪三郎が王位に就くのは市民の支持があったからで、自分は請われて王になるにすぎないと言い張るところ。市長役の山野史人が、市民に向かって王が亡くなって新しい王様を選ばなければいけないが、いろいろあって(ややこしいから略)要は悪三郎がいいんだと思うと呼びかける。後ろには悪三郎の腹心で久秀役の石田幸雄が市長がヘタなことしゃべらないようにお目付役として控えていて(石田さんはその他のシーンでも大活躍というかいい味でひっぱってた)、更に畳掛けるように美辞麗句を並び立てて、市民に対して悪三郎を王に推すんだが、その市民ってうちら(観客)のことなんよね。
世田谷バブリックのちょうどいい感じにぐるっと舞台を囲むかたちが、あたかもコロッセオのような雰囲気を醸し出し*3、更に楽日で満席の客席がその話の流れにどよどよし、乗せられて一市民の気分で拍手したり万歳言ってたりして、観客も一体になって劇の登場人物にいつのまにかなっていて、悪三郎を王とするのを計らずも推していた*4。(笑


衣装のコシノジュンコも舞台美術も統一感があって美しく、ブラインドを使用した舞台効果もよかった。
音楽は生でお囃子。日本人でよかったとなんか感じるところ。


全体的に目でも耳でも魅せるし楽しいし、観に来て良かったと、萬斎さんはやっぱいいなーと思いまっせ。

*1:だって13:00開演には慣れてなくて、ずるずると寝てしまい、ギリギリようやっと三軒茶屋に着いたぐらいだから、昼など食べる暇なく・・・

*2:ジョセフィン・テイ「時の娘」ハヤカワ文庫

*3:イギリスのことをローマの建造物でで例えてもアレか・・・。コロッセオに行ったこともないけど、そういう印象だったという意味で・・・。

*4:ここは演出とセリフが巧い。日によってお客さんの反応も違うから、場合によってはアドリブもあったんじゃないかなぁと思ったり